SAS
TOP会社案内発行物についてサイトマップEnglish
株式会社エス・エー・エス
「氣」とはユーザー体験談センター/研修所案内氣の伝承者よくあるご質問掲示板グッズの販売

氣の伝承者
中川雅仁紹介
日記
対談内容
スケジュール
感じる「氣」

  仮会員登録
  いろいろな資料をご用意しております。  
相談窓口
  各センターについて、ご不明な点等ありましたらこちらでお伺いします。  
  お問い合わせ
  株式会社エス・エー・エスについてのお問い合わせは、こちらでお伺いします。  

対談内容



中川雅仁の巻頭対談いい人いい話いい氣づき
2005年12月の対談

大野勝彦 さん
中川 雅仁 大野 勝彦 さん
(なかがわ まさと)
1961年北海道生まれ。北海道大学工学部卒。(株)エス・エー・エス会長。全国各地で真氣光しんきこうと呼ばれる氣を通して意識改革に精力的に取り組んでいるほか、奈良県生駒市にて意識改革を目的にした合宿『真氣光研修講座』を開催し、好評を博している。著書に『こんな癒しがあった!』(文芸社)、新刊『氣で生きる力が湧いてくる』(ごま書房)などがある。
(おおの かつひこ)
1944年、熊本県生まれ。高校卒業後、農家を営む。1988年、農機具洗浄中に巻き込まれ両手を切断。入院3日目より“湧き出る生”への想いを詩に託す。さらに2ヶ月目には、その喜びを水墨画に表現。退院後、全国各地で講演会、詩画の個展を開催。第9回熊本現代詩新人賞、熊本日日新聞社「豊かさ作文コンクール」グランプリ受賞など。詩画集は『そばにいた青い鳥―失って見えてきたもの』『やっぱ いっしょが ええなあ』など多数。2003年、阿蘇長陽村に「風の丘 阿蘇大野勝彦美術館」開館。2004年、3000回記念講演会「ありがとうがいつか笑顔になった」を米国ロサンゼルスで開催。2005年9月大分県飯田高原に「風の丘 大野勝彦美術館」をオープン。

「そばにいた青い鳥― 失って見えてきたもの」
大野勝彦 詩画集
『そばにいた青い鳥― 失って見えてきたもの』
(ぱるす出版)



■阿蘇に美術館、2年間で5万人の来館者が

中川 知人から大野さんの詩画集を見せてもらったのですが、そのいきいきとした生命力溢れる絵と詩に感銘しました。それで、是非お目にかかりたいと思ったのです。私共の熊本センターが辛島町にあるのですが、そこから車で1時間半ほどでした。

大野 稚拙な絵ですが、その中の"ニコニコ"と"ありがとう"を感じとってもらえれば嬉しいと思っています。ここ(美術館の玄関前)の正面は何も遮るものがなく、ほら、どこまでも見渡せるでしょう。阿蘇の外輪山がここだけ切れているのですよ。この地から下の熊本市の方に水が流れて行っています。
 ずっと向こうにポールがあり青い旗の下に黄色い三角の旗が見えますか。あの旗が揚がっているときは、私が在館しているという合図です。そのときは、ここにいらした方に無料で20分ほどの講演をしているんです。もう、500回以上喋りましたよ。

中川 ずいぶんたくさんの方が来館されているのですね。駐車場も広くて、先程も観光バスが止まっていました。素晴らしい眺めですね。広々として、花がとても綺麗で、いやぁ、本当に気持ちがいいです。これだけ広いのに、館内も外周りも良く手入れがされていて、感心しました。

大野 美術館を建てたのは2年前ですが、今までにお蔭さまで5万人を超える方がいらしてくれました。敷地は約12000坪あります。この美術館を建てたいと言ったときには、知人友人など周りの人たちは皆、「止めた方がいい」と反対でした。建物を創るのもひと仕事ですが、運営していく事、これは並大抵のものではありませんから、皆さんはそれを心配して言ってくれたのです。

中川 ここに美術館を建てようと決心されたのは、どういういきさつだったのですか。

大野 これから追々お話しますが、私は45歳のとき事故で両腕を失ってしまったのです。群馬に星野富弘さんという方がいらっしゃるでしょう、入院中、あの方の著書『風の旅』に出合って、溢れる優しさに慟哭しました。そこから私の『風の丘 大野勝彦美術館』が生まれた気がします。

中川 星野さんの詩画集は、私も何冊か見たことがあります。体育の先生をされていて、授業中にマット運動の模範演技を生徒さんたちに見せているときに、誤って頭から落ちて頚椎を損傷され、首から下の全身麻痺になった方ですね。その後、口に絵筆をくわえて詩画を描かれるようになって、地元に美術館も建てらたのですね。

大野 そうです。それで、私は星野さんに是非お逢いしたいと思ったのですが、妻が「今のあなたでは逢ってくれませんよ。向こうから断られますよ」と言うのです。それならば、何とか星野さんに逢ってもらえるような人になろう、と一生懸命に生きてきました。
 そうしたら、4年後に星野さんが熊本にお出でになり、逢ってくださったのです。そのときに、「あなたの夢は何ですか」と訊かれて、「阿蘇に美術館を建てることです」と答えてしまった。それが美術館建設のきっかけです。

中川 そうですか。そのとき"断られるだろう"という状況だったのをバネにして、今の大野さんがあるのですね。いっけんマイナスのことをプラスに転換させられたということですね…素晴らしいです。

大野 2年前に美術館をいよいよ建築しますと発表したら、全国の仲間達が猛反対しましてね。そこで、私は2月3日が誕生日なのですが、その日に私の葬儀をしました。お坊さんにお経もあげてもらって。その葬式の最後に挨拶に立って「今日は生前葬ですが、いつか本物のこの日が必ず来ます。その時、後悔したくありません。お香典はお返しします。どうか、お心だけはお寄せください」と、美術館をどうしても建てたいのだということを参列してくださった皆さんにお伝えし、応援をお願いしたのです。
 私の決意を受け止めて、実に多くの方が「大野に美術館を建てさせてやりたい」と思ってくださり、本当に不思議なことがいっぱい起こって、実現したのです。自分は理屈っぽいけれど、その現象は自分の解釈では追いつかんのですよ。

中川 思いはエネルギーですから。いろいろな方の思いの応援があったのでしょうね。美術館の建設は、ご家族の方もさぞ喜ばれたことでしょう。

大野 ええ、とても喜んでくれました。でも、残念ながら父は完成を見ずに亡くなってしまいましたが。父は、あの事故のとき、私の切れた腕をタオルで結び、救急車に裸足で乗り込んで…。父は、心労で数日の間に7キロも痩せてしまったんです。もともと50sくらいしかなかったのに。どんな思いだったかと考えると、たまらんです。後で親孝行をしよう、後でありがとうを言おう、そう思っていたのですが、今日がその最終日…そうじゃないですか。

■まだ死なれん!自分で両腕を引きちぎった

中川 農作業中に、機械に巻き込まれたそうですね…。

大野 平成元年7月22日。その日、私は朝早くから人参の植え付け準備のため、トラクターに肥料散布機をつけて畑に肥料を撒いていました。昼過ぎに散布が終わり、庭先で散布機を洗っていたのです。エンジンを一番スローに落としていたので、心棒はゆっくりと回っていました。
 ふと見るとゴミが心棒についていたので、ちょっとつまんで捨てようとしたんです。その瞬間に、心棒に付いていたプロペラのような羽根が出てきて、私の右手の指をバチンと挟んでしまいました。ゴミをつまもうとしたときは、羽根は下の方にあって見えなかったのです。羽根は右の指を挟んだまま手をズリズリと引きずり込んでいきました。私は「しまった!」と思って、右手を取ろうとして左手を差し出しました。そうしたら、今度はその左手が巻き込まれてしまったのです。私は大声で「誰か、助けて!」と叫びました。
 母が家の中から飛び出してきました。が、母には機械の止め方が分かりません。「どうすればいいの!」とバタバタするばかりです。このままでは次は肩、頭と巻き込まれていき…「ウワァー!俺は死んでしまうじゃないか!」。三人の子供たちの顔が浮かびました。「俺は、まだ死なれん!」。私は渾身の力を振り絞って、反動をつけて体を思いっ切り後ろに引いて、両腕を引きちぎりました。

中川 自分で、のけぞって自分の両腕を引きちぎったのですか!

大野 切るか、死ぬか、どちらかでした。諦めたら完全に終わりでした。たとえ体が入ってもビクともしない頑丈な機械でしたから。後から考えると、「死なれん」と決断した、この1分か2分にも足りないような短い時間が非常に辛く、全てを集約しているような気がします。引きちぎる体力のあったことは、本当に親に感謝です。

中川 ご自分の不遇を嘆かれたことでしょうね。

大野 嘆くゆとりなぞ、ありませんでした。手術後1、2日は眠れんほどの激痛で、この痛みを何とかしたい!それだけでした。多少痛みが引いた3日目に右肘に筆ペンを括りつけてもらって字を書いてみたら、何と書けたのです。「両手が無くても字が書ける!」、生きている歓びが体中に溢れてきました。

中川 手術後3日目にですか。大野さんの前向きな姿勢は、すごいですね。

大野 子供たちは見舞いに来て病室に入る前に「お父さんに心配をかけちゃいけない。お父さんのところでは楽しい話だけしようね」と三人で話し合って、一生懸命に明るく努めていてくれたのだと後で聞きました。子供たちの優しさに、泣けてしまいましたよ。
 本当に、家族が徹底的に優しくしてくれました。世間にはよくいろいろとアドバイスをしてくれる人がいるでしょう。「あんまり優しくすると、その人のためになりませんよ」とかね。あんまり優しくない人が、こういう理屈を言うのですね。
 人間にとって一番大切なものは"優しさ"じゃないでしょうか。本来、人間は本当に優しいんだと思います。家族だけでなく、周囲の方、旅で出会った方々…皆さんによってたかって優しくしてもらっています。私みたいのがいた方がイイんですよ。完璧な人ばっかりだったら、人は優しさを出さんでもいいでしょ(笑)。私は、45歳まで「人の世話にはならん」と言っていた傲慢な男でした。打算的に生きてきました。百姓をし、豚や鶏を飼っていて、体の小さい豚や足の悪い鶏などのマイナスのヤツは、これは残していてもしょうがない、と淘汰してきました。両腕を失って、何もかも人の世話にならないと生活できない。頭を下げて下げて、プライドなど全部捨てなければ一日だって生きていけない。そういう大きなマイナス地点からの再スタートでした。そして、人はひとりでは生きていかれん、そういうことが分かりました。身の回りのもの、たとえば小さな動物や花にも命を感じ、いとおしく思うようになりました。それまで、私は百姓をしていて自然の中におったのに、花を見たという記憶が無かったのです。

■私に手の無いことを忘れてくれたら…と

大野勝彦 さん中川 大野さんとは今日、初めてお目にかかりましたが、穏やかな笑顔に接して、何だか以前からずっと親しかったような嬉しい気持ちになりました。笑顔は次々とプラスの氣を呼び込んで、自分も周りの人も明るくなっていきますね。

大野 私は、子供たちや周りの人たちが私に手の無いことを忘れてくれたら…と思ったのです。それには、これからのオレの仕事は、いつもニコニコしていることだ、そう思いました。今は、本当に生きているのが楽しくて、時折「この幸せモンが」などと自分のことを言ってしまうのですよ(笑)。
 私は講演したりスケッチしたりしながら日本各地を旅していますが、先程、中川さんがおっしゃったように、初めてお会いしたのにもう何十年もお付き合いをさせてもらっているように気が合う…そういう人が多いですね。また、場所が持つ「氣」を感じて「ここに来て良かったなあ」という声が自分の中で聞こえたりするのです。
 この17年間で本当に多くの人との出会いがありました。そして、たくさんのことに気づかせてもらいました。中には、自分の苦しみを切々と訴えてこられる人もいます。私はそういうときには、「私の痛み、不自由さは私が引き受けます。あなたもいろいろあるでしょう。でも、あなたの人生はあなたが引き受けてください。そして、こうして会っているときは笑顔と笑顔で、人生を楽しみましょうよ」と言うんです。
 人間、亡くなるときは独りです。命も時間も、自分持ち。「ああだったら、こうだったら…」と、マイナスを言っているのは一生のうち、勿体ない時間です。

中川 自分の人生は、自分が引き受ける。笑顔で人生を楽しみましょう…いい言葉ですね。

大野 私は、大変腕のいい素晴らしい形成外科の先生に診てもらっていたのですが、そこには様々な方がみえていました。あるとき、落としてしまった10本の指を、この先生に全てつなげてもらったという男の人が来ていました。
 その人の指は8本が機能を取り戻していましたが、右手の中指と人差し指の2本だけが元のようには上手く動かなかった。彼はそれが残念で残念でたまらなかったのですね。「先生が利き手の右の指から繋げてくれたら、もっとちゃんと動くようになったかもしれない」、なんて言うのですよ。
 それで、私はとうとう言ってやりました。「先生、両腕をスパッと切ってあげたらいいですよ。なまじっか残っているから、マイナスの方ばかり見て感謝できないのだから。切って両腕が無くなったら、性格変わりますよ。良くなりますよ」って(笑)。

中川 失ってしまったものを数えて落ち込んでしまうか、残されたものを見て感謝できるか、それで幸せに成り方がずいぶん違ってきますね。

■玄関前のケヤキの木に励まされています

大野 手を見てください。なんと全て良く出来ていることでしょう。指も手首も思いのままに動く。こんなに便利なものは、どんなに機械文明が発達しても到底作れるものではないですよ。

中川 そうですね、それなのに普段はそういうことに気づきもしません。手があり、自由に動くことが当たり前と思っていますから、有り難さも忘れています。

大野 人間は、当たり前と思っていることに、感謝することは難しいのですね。失って初めて分かるのかもしれません。どんなに大切でどんなに有り難かったかと。もし、今、片手でも返してやると言われたら、嬉しさのあまり、正気には戻れないかもしれない…そんなふうに思うほどです。それなのに、手があったときは一度も、その手に「ありがとう」と言ったことはないのですから。

中川 詩画集の「プレゼント」という題の絵に添えられていたこの言葉に胸がジ〜ンとしてしまいました。
 「神様 誕生日のプレゼントに一日だけ両手を返してくれませんか。この事故で心配かけた人、辛い思いをかけた人の手を 心をこめて握りたいのです。そのぬくもりを心の中に大切にしたいのです。子供たちの手をいつ握っただろうか思い出せない。一日だけつけてもらったら しっかりにぎりしめ 父親の手のぬくもりを教えたい。そして子供達の手の感触 もう一度だけ覚えさせてください。先祖の仏壇に心の中だけではなくて生きていますと 手を合わせたいのです」、と…。

大野 絵を描き、そこに言葉を添えているのですが、一番言いたい思いが言葉となって自然に湧きあがってくるのです。考えて書いているのではありません。それこそ、神様のプレゼントのように。
 詩画集を買ってくださった人にも、その人の似顔絵とその人に合った言葉を書いて差し上げています。これだけたくさんの素敵な人にお逢いしていると、その人にピッタリの言葉が自然に浮かんでくるのです。「えっ、私のことがどうしてこんなにお分かりになるのですか」とビックリされることもたびたびです。
 似顔絵を書くのってイイですよ。普通だったら女の人の顔をマジマジと見ることなど出来ないでしょう。でも、「ジッとしていてください。ちょっと笑って」なんて注文までつけられるのですから(笑)。

中川 ハハハ、それはいいですね。

大野 顔には味がありますね。中身が良くならないと、顔も良くなりません。感謝の気持ちがイイ顔を作っていくのでしょう。

中川 そうですね、その通りだと思います。

ケヤキ大野 ちょっと、この玄関前のケヤキの木を見てください。車で通りがかったときにこれを見て一目惚れして、何度も何度も通ってとうとう譲っていただき移植しました。元からここに生えていたかのようでしょう。二股に分かれた幹が二本とも切られてこんなになっても枝を伸ばし、葉を豊かにつけて。朝夕眺めて、抱きついていると、木の命が伝わってきて励まされます。
  私も、両腕を失ったのは私に対する神の愛ではなかったかと、本気で思うことがあります。たくさんの"ありがとう"に気づかせてもらいました。まだ命を残してもらっている自分、嘆き悲しむ時間があれば、先に逝った両手に感謝をこめて、その分も生きなければと思います。いつか、この体も全部お返ししなければならないときが来ます。そのときに、私の両手に心から詫びようと思っています。

中川 今日は大変感動的なお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。

大野 また、熊本にいらしたときには是非訪ねてください。

(2005年8月30日『風の丘』阿蘇大野勝彦美術館にて構成◎須田玲子)



氣
Copyright(C) 2000-2004 SAS,Inc. All Rights Reserved. 株式会社 エス・エー・エス