千葉 ところで、戦後50年にあたる1995年に、私がオーストラリアのシドニーを訪ねたとき、書店でベストセラーになっていたのが『s o n gfor Nagasaki(長崎の歌)』という本でした。著者はパウロ・グリンという、奈良県大和高田市に住むカトリックの神父でした。長崎で被爆して亡くなった永井隆博士を中心にしたストーリーで、感動的な本でした。 パウロ神父を奈良に訪ねると、彼は「日本人の美しい心、平和を愛する国民性をオーストラリア人に伝えたかったのです。それで、この本を10年がかりで書きました。永井博士は、美しい日本人の典型です」と言うのです。びっくりしました。私は多くのオーストラリア人が日本を非常に憎んでいることを知っていたからです。 それを伝えると、「私の兄は、私と比べものにならないほどです」と話してくれたのが、先程お話ししました、日本刀返却運動をした、トニ・グリン神父だったのです。つまり、私は『長崎の歌』という本から著者のパウロ・グリン神父と出会い、兄のトニ・グリン神父を知り、彼に強い影響を与えた人として、ライオネル・マースデン神父と重本晴光氏を知り、『愛の鉄道』を撮ることにしたのです。 重本さんが生きておられるなら、是非お会いしたいと思って、私は八方手を尽くして探しました。そうしたら90歳になり、奈良と京都の県境の小さな老人ホームに居ることが分かったのです。彼のインタビューの様子は、映画の中に盛り込むことができました。私は彼に「なぜ、あなたは命がけでワインを買いに行ったのですか」と訊ねました。そうしたら、彼はギョロリと私を見て、「知りたいか?…実はワシはヤソ教やったんや」と言ったのです。