
2006年10月の対談

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| 中川 雅仁 |
廣澤 英雄 さん |
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(なかがわ まさと)
1961年北海道生まれ。北海道大学工学部卒。(株)エス・エー・エス会長。全国各地で真氣光しんきこうと呼ばれる氣を通して意識改革に精力的に取り組んでいるほか、奈良県生駒市にて意識改革を目的にした合宿『真氣光研修講座』を開催し、好評を博している。著書に『こんな癒しがあった!』(文芸社)、新刊『氣で生きる力が湧いてくる』(ごま書房)などがある。 |
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(ひろさわ ひでお)
1937年茨城県に生まれる。1958年に合気道「龍ヶ崎道場」に入門。1961年から68年までの約7年間、開祖植H芝盛平師の弟子(その間、内弟子2年)。1994年に7段を取得。2006年イタリアに招待され合気道の模範演技を披露し指導。現在、茨城県合気道連盟理事、(財)合気会茨城支部道場指導部師範。他に大学や道場、カルチャースクール、クラブなどで合気道を指導。 |
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■タクシーの運転手さんとお客さんとの氣の交流が
中川 お忙しいところ朝からお越しいただきまして、ありがとうございます。また、大変暑い中、遠方よりいらしていただき恐縮です。
廣澤 いえいえ、私もお目にかかれるのを楽しみにして来ました。
中川 私どもの会社は、氣の重要性をお伝えし、日常的に氣を上手に取り入れて心を磨き、より幸せな生活を送りましょうということを提唱している、ちょっと珍しい株式会社(笑)なのです。
先日、うちの会員の山田秀明さんから、廣澤さんをご紹介いただきました。やはり会員の森田さん、樋渡さんと一緒に廣澤さんの道場をお訪ねして、いろいろとお話をうかがい大変感銘を受けたそうで、是非、私にも会ってほしいと連絡をくれたのです。山田さんから話を聞いていて、どうも、廣澤さんのおっしゃっていることが、私どもがお伝えしていることと、とても共通していると感じまして、これは直接お会いしてお話をうかがいたいと思った次第です。
ところで、山田さんとお会いしたのは、何とも面白い偶然だったそうで…(笑)。
廣澤 そうなんですよ。私は以前からずっとタクシーの運転手をしています。この職業は、深夜も車を走らせて、その翌日は「空け」で休みなんですよ。それで、合気道の練習に通う時間が取れて都合が良かったものですから、長年タクシーの運転手をしていました。今はいくつかの道場で指導もしていて忙しいし、来年で70を迎えますから週に2日だけ運転しています。
タクシーの運転手も「合気」なんですよ。お客さんが乗ってまだ行く先を告げないうちに、もうどこに行くか分かってしまうことがあります。「どこどこですね」などと言うと、ビクッとして「前に、乗りましたか?」と。また、乗り込んだ途端に「銀座の○○のママさんですね」と言って、驚かせてしまったこともあります。スッと心を結ぶと、何か自分にメッセージが届いてそれをキャッチするとでもいいましょうか、そんな感じで分かってしまうのです。
山田さんとお会いしたのは8年程前のことです。突然降ってきた大雨で、山田さんが私の車を停めて乗ってきました。そして、何かのきっかけで私が「痛みや身体の不具合を治すことが出来るけれど、それは宇宙からの氣を中継するだけで私が治しているわけではない」というような話になりまして。降りるときに、お互いに何か感じたのでしょう、名刺を交換したんですよ。それから1年に1度か2度、私が何か氣づくと山田さんに電話し30分ほど話をして…という繋がりでした。そうしたら1ヶ月ほど前にお友達と一緒に道場に会いに来てくれて、話が弾み、こうして中川会長とお会いすることになったというわけです。
中川 そうでしたか、それもまたご縁ですね。私もタクシーに乗ったときに運転手さんがイライラした感じのときなどには、そっと後ろの座席から氣をお送りしています。そうすると、だんだんと刺々しい雰囲気が和らいで穏やかになって、あぁ氣が届いたなとこちらも嬉しくなったりして。廣澤さんは、反対に運転手さんの立場からお客さんと氣の交流をしていらっしゃるわけですね。
廣澤 そうですね。大勢のお客さんの中には、血が上の方にあがっていてカッカしている人もいますが、私がフウッ〜と息を吐いていくと、スゥ〜と穏やかになり、振り上げていた拳をソォーッと下ろして、「すみませんでした」なんて謝ってくるのですよ。こちらが息を吐けば、相手も息を吐きます。これも「合気」ですね。ですから、私は一度もケンカしたことがありません。
■争う気持ちはマイナスの波動を生み出してしまう
中川 ところで、私は合気道について疎(うと)いのですが、ちょっとどういうものなのか教えていただけますか。ホームページで調べましたら、開祖は植芝盛平さんという方だそうですね。「明治16年に和歌山で生まれて若い頃に柳生流柔術を学び、北海道開拓民となり、ここで大東流柔術を学び、その後京都で大本教の出口王仁三郎師に出会い心開かれて、大正の終わりには武道の新境地を開いて、本格的に『合気の道』と呼称し各地で指導された。常磐線岩間駅の東、笠間市吉岡に合気道の茨城支部道場と合気神社があり、ここは開祖自身が『合気道の産屋』を称し、昭和10年代に厳しい修行を重ね、合気道を完成させた地とされる」というようなことが書かれていました。
廣澤 ずいぶん調べられましたね。そうです、開祖を私どもは大先生とお呼びしていますが、大先生より前の武道は、究極的には相手を殺すまでいってしまう剣術、闘技である武術でありました。大先生も戦争中は国の命令で海軍の兵学校などの教師をさせられていましたが、それを嫌っていました。大先生の確立された合気道は「和の武道」です。戦わず、競い合わない。ですから試合はありません。試合は、敵を作ります。試合は「死合い」に通じます。命、今日は取られたけれど、明日は命ある…そんなことはないでしょう。合気道は、敵を作らず勝ち負けはないのです。試合を無くしたということは、無我の境地を確立したということです。
大自然に同化し一体化した動きであり、そこには対立相剋の世界もなく、相手もなく、ただ自己の気が宇宙の気に合いして動くというものです。宇宙のリズムに同調させる。大先生は最後の頃、「宇宙は腹の中にあり」とおっしゃっていました。「武道の鍛錬とは、森羅万象を正しく産み、まもり、育てる神の愛の力を、我が心身の内で鍛練することである」と書き残されてもいます。
中川 先代も、争う気持ちはマイナスの波動を生み出してしまう、とよく言っていました。オリンピックなど国を挙げて勝つことだけにこだわり、メダルの数だけを競い合っていてはいいことがないと。
廣澤 形は違っても、それでは国同士のケンカです。合気道はスポーツでもケンカでもありません。昔、私が若い頃ですが、山の中で大きな木を相手に木刀で打ち込んでいたら背後から声が聞こえたんですよ。「周りの木々すべてが敵なら、どうするんだ」と。どうすることもできませんよね、そうか、闘わないのが一番いいんだ、って分かりました。そうでしょう。私は山に入って自然と一体となることに努めていました。合気道は、畳の上だけの鍛錬ではダメですね。それでは勝った、負けたで終わりです。
■「合気」は「愛」に通じ、人類を一つ家族にする道
中川 廣澤さんが合気道を始められたきっかけは、何だったのですか。
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開祖植芝盛平師(右から2人目)と
廣澤さん(右端)
※写真提供廣澤英雄さん
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廣澤 私の先祖、曽祖父ですが関口流柔術をしておりまして、兄弟は柔道の道を進みましたが、私は合気道の方に行ったのです。もともと武道の家系だったということもありますし、合気道は百姓をしながら練習するのに最高だったのです。
大先生の内弟子になったのは、21歳の頃でした。掃除からご飯炊きまで、大先生の身の回りのことを何から何までやり、教えをいただきました。
中川 内弟子になられたのですか。外から通ってくる外弟子と、寝食を共にして学ぶ内弟子はだいぶ違いますよね。
廣澤 そうですね。大先生は37年前に亡くなりましたが、私はその直前まで一緒でしたから。大先生は弟子に肩をもませて、ダメな奴にはすぐに「もういい!」と。こう言われたら、役に立たないということなんです。肩をもむときに息を止めて押すと、相手も息を止めてしまって痛い。押そうとすると、抵抗が出来ます。息を吸って押せば、相手も息を吸い、心と心が結ばれる。心を許すと受けとめられる。呼吸なんですよ、呼吸を合わせれば例え棒で押されても大丈夫です。大先生の背中には幾つもタコができていました。心と心の交流を一番大事にされていたのです。
大先生も若い頃は構えていました。でも構えるということは相手にスキを与えてしまうことになります。だから、若い頃の大先生に教わった人と、晩年に教わった人とは違うのです。構えず、迎えに行く。さぁどうぞいらっしゃい、と。そして投げるのではなく導くのです。掴(つか)まれたら、解こうとするのではなく、スウ〜ッと息を吸えばいい、そしてフゥ〜と吐く。
中川 掴まれたら息を吸って、吐く…ちょっと聞くと簡単そうですね(笑)。
廣澤 そう、簡単です。でも、そこまで来るのは大変ですが(笑)。押さえよう、勝とう、投げよう、そういう気持ちは合気道にはありません。合気道は競い合わないのです。今年、イタリアに招かれてクロアチア、ブルガリア、南アフリカなど11ヶ国から集まった200人ほどの方々の前で、合気道の実技を見せ指導しました。
肉体を意識していれば投げられると痛い。そして、このヤロウ!という気持ちになる。心を呼吸で結べば、そういう気持ちはパッと消えます。「合気」は「愛」に通じるものであり、人類を仲良く一つ家族にする道です。呼吸している宇宙、その中で人間は生かされています。言葉で説明していても分かりにくいかもしれませんが、ようは心が先なのです。
中川 何でもそうですね。まず心で、身体は後からついてきます。ですから、その心の部分をどのような状態にもっていくかが大事で、私も「洗心」を心がけることの大切さをお伝えしています。
廣澤 そうですね。真白い心で立つと周囲の黒い心を浄化できます。泉が湧き出るように浄化できる。中心に立つ者が汚れた心だと、周囲はドロドロになってしまいます。
ところで、頭に思ったことを形に表すこと… で思い出しましたが、私は40年程前に「世界びっくりアワー」というテレビ番組に出演したんです(笑)。頭の中に鶴が羽ばたくイメージが湧き、それを忠実に形に再現しました。紙と針金を使って本物そっくりに鶴が羽ばたくのです。大先生がそれを見て、「それも合気だよ」とおっしゃいました。
頭で思ったことを形に表すことが合気で、合気道は宇宙を神と崇めて、宗教を飛び越えて一つ家族になる、そういうことを身体で表しています。そういうことをイタリアで話しましたら、拍手が起きました。
■争おうという気持ちを起こした瞬間にすでに破れている
廣澤 イタリアでは希望者を募って次々と投げていきましたが、私にもっと投げられたいというんですよ。投げられると癒されて気持ちがいいのだと(笑)。私はリハーサルを絶対にしません。常に真剣です。30人もの大柄の外国人が手を繋いでドドドッーと次々と倒れていきます。私と同行した弟子は、失敗したらどうしようかと思ったそうですが、失敗したら、なんて思ったら失敗する。やらない方がいい。目付け、呼吸、身体移動、螺旋回転ということもありますが、私は宇宙のリズムに同調していて、その中に彼ら皆、入っているので、私の自由自在なのです。
中川 30人の外国の方に囲まれるのは、圧迫感がありませんでしたか。廣澤さんの背丈はどのくらいおありですか。
廣澤 167センチです。でも、心で見るのですから相手がたとえ2メートルを越えていたって肉体は一切関係ありません。「我、宇宙なり」ですから、形ではない。でも、そこまでもっていくには、やはり型で教えます。禊技(みそぎわざ)といい、ぶつからないようにぶつからないように、円く円くもっていって、型ができてきて、肉体を鍛えたら、心の方に入っていきます。型は私物です。型にこだわる人間は、型で終わりです。合気道は護身術だという人もいますが、それはそれでいい。その人はそこまでなんです。
中川 型ができて、それから更に奥があるということですね。
廣澤 吸う息で心を結んで導けば、空気みたいに重さが無く、無の状態で上に上にあがっていくと宇宙の波に同調してそのレベルのものがスッと流れ込んでくる。呼吸している宇宙、その中で人間は生かされている、そういう感じが分かってきます。合気道には完成というものがありません。
私は、70年の人生の中で4度、生きるか死ぬかの経験をしています。4度目のときはスゥーッと下に落ちていき柔らかいマットレスのようなところに寝ていてとても気持ちがいいのです。このまま眠ってしまいたいと思ったのですが、私のことを呼ぶ声が聞こえて渾身の力を振り絞って目を開けたら、目玉が幾つも私を覗き込んでいる(笑)。娘が一生懸命に私を呼んで、それで私は生き返ったのです。あれが娘でなければ、私は戻っていなかったでしょう。家族の愛の強さを思いました。
「合気」は「愛」に通じるものであり、人類を仲良く一つ家族にする道ですから世界平和に導くのです。合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにあります。先ほども言いましたように、合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我は即ち宇宙」なのです。敵が、「宇宙そのものである私」と争おうとすることは、宇宙との調和を破ろうとしているのですから、争おうという気持ちを起こした瞬間に敵はすでに破れているということなのです。
中川 お目にかかったときから思っていたのですが、廣澤さんは肌つやが良くてとても来年70歳を迎えられるとは思いません。お若いですね。それにニコニコと穏やかな方で、今日はとても気持ち良くお話をうかがえました。これも廣澤さんの発する氣のお蔭でしょう。
廣澤 そうですか、それはありがとうございます。大学などで学生に教えていますので、いつも若い氣に接しているからでしょうか。私の道場では、常に笑いながら楽しく合気道をしています。今度いつかご覧いただけるといいなと思います。
中川 そういう機会を楽しみにしています。廣澤さんの益々のご活躍をお祈りいたします。今日はどうもありがとうございました。
(2006年8月21日エス・エー・エス東京本社にて
構成◎須田玲子)
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