
2007年10月の対談

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| 中川 雅仁 |
浅川 嘉富さん |
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(なかがわ・まさと)
1961年北海道生まれ。北海道大学工学部卒。(株)エス・エー・エス会長。全国各地で真氣光(しんきこう)と呼ばれる氣を通して意識改革に精力的に取り組んでいるほか、意識改革を目的にした合宿『真氣光研修講座』を開催し、好評を博している。著書に『こんな癒しがあった!』(文芸社)、新刊『氣で生きる力が湧いてくる』(ごま書房)などがある。 |
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(あさかわ・よしとみ)
1941年山梨県小淵沢に生まれる。1965年東京理科大学・理学部を卒業後、日本火災海上保険株式会社(現、日本興亜損害保険株式会社)に入社。1999年専務取締役在任中に退任。退任後、ペルー、エジプト、メキシコなどの古代遺跡や、南極、北極などの辺境の地を探索。また、およそ40年前にペルーで発見された謎の石「カブレラストーン」の研究に取り組む。取材でアンデスを訪れたことがきっかけでジャングルに学校を建設する活動にも取り組み、既に5校を寄贈。 |
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■私たちの理解できないことが世の中では起こっている
中川 はじめまして。浅川さんのご本を拝見しまして、ひとつは超古代文明の話、そして死後の世界の話ですが、ある種、怪しげと思われる話を、とても説得力をもって書かれています。裏づけをとりつつ発表していくという姿勢に、すばらしいなと感じました。
浅川 ありがとうございます。確か、会長も理科系ですよね。私も理系出身なものですから、論理的に納得できないとがまんできないわけですよ。
理系出身の会長が、氣をやっているというのも興味ありますね。どういう経緯があったんですか?
中川 私どもの真氣光というのは、12年ほど前に亡くなった父が始めたものです。氣功師を養成するという一週間の講座をやっていて、氣功ブームのせいもあったと思うのですが、毎月200人近い人が集まるような盛況ぶりでした。
私は、そのころ電機メーカーの技術者でした。父のやっていることについては、父は父、自分は自分の道を生きていけばいいと、まったく無関心でした。
ところが、仕事のストレスで胃を悪くしたことがきっかけでしたが、その一週間の講座に出たら、私のそれまでの目に見えるものだけがすべてだという価値観はガラガラと音を立てて崩れてしまいました。
その後、父が亡くなったものですから、私があとを継いだわけですが、10数年前の自分から見れば、考えられないようなことをやっているわけです。
浅川 でも、会長の技術者時代のことは、今に役立っていると思いますよ。
私は、長年、金融機関にいましたが、会社員時代の肩書きが、今のバックボーンになっていると感じています。
大阪で講演があったとき、ある人が、最初はみんなあまり真剣に聞いていなかったけど浅川さんが経歴を話されたら、急にきちんと聞くようになりましたと教えてくれて、そんなものなんだなと気づきました。
中川 そうですよね。大手金融機関の専務まで勤められたわけですから。
でも、専務という社会的に信用のある職を辞してまで、どうしてこうした今の不思議世界に足を踏み入れたのですか?
よほどのことがあったと思うのですが。
■亡くなった家内が後押ししてくれている
浅川 よく聞かれますね。でも、中学生のころですから、50年も前から、UFOが大好きでした。そのころは空飛ぶ円盤と呼んでいましたが、その研究団体があって、そこの最年少のメンバーでした。
そのうち、宇宙人もいるし、地球人もいて、どちらも必ず死ぬはずだけど、死んだら別々の世界に行くのだろうか、それとも一緒になるのだろうかということに興味をもって死後の世界の研究を始めたのです。さらに人間の文明は5000年前に始まったというけど、もっと前にも文明はあったのではということが気になって、UFO、霊的世界、先史文明が、私の三大テーマになったわけです。
中川 50年前からとはずいぶんと年季が入っていますね。そういったベースがあって、今日につながっているのでしょうが、現役中に霊的世界の本を書かれたのには何か理由があったのでしょうか?
浅川 15年ほど前でしたね。家内がガンになったんです。
彼女は、死後の世界など信じていませんでしたから、ガンを告知されて、相当取り乱しました。
私は、死んだらどうなるのかということを、彼女に毎日のように話してあげました。最初は耳を貸さなかった家内でしたが、徐々に耳を傾けるようになり、話の内容も理解するようになってきました。
その後二年ほどして亡くなりましたが、本当に安らかな亡くなり方で、きれいな死に顔をしていました。それは荼毘に伏すのがもったいないような顔でした。結婚してはじめて『きれいな人だ』と思いましたね(笑)。
中川 そういうことがあって、霊的なことを多くの人に知らせたいという気持ちになったわけですね。
浅川 そうです。人が安らかに亡くなるのに、私の研究してきたことが役に立つならと思いました。
それ以上、上の地位に上がってしまうとしばらくは辞められませんから、ここらが潮時だろうと、会社を早めに卒業することにしたわけです。『そろそろ本来の仕事をする時が来たわよ』と、家内が後押ししてくれたような気がしますね。
■天の力でカブレラストーンに出合うことができた
中川 ずっと世界中を飛び回っておられますからね。70歳になってからではなかなかできなかったでしょうね。
奥さまが亡くなられたのは残念でしたが、ある方向に動かされているような気がしますね。
浅川 私の人生がそういうプログラムだったと思いますよ。
さっきも言いましたが、理系の人間ですから、すべて自分の目で見ないと納得できないタイプです。それで、インカ文明のペルー、マヤ・アステカ文明のメキシコ、エジプト文明のエジプトを中心に世界の遺跡を見て回りました。
中川 例のカブレラストーンに出合ったのはペルーだったのですね。
石の表面に細かい線でいろいろな絵が描かれている不思議な石ですね 。恐竜と人間が共存している絵だったり、心臓移植や天体観測をしている絵だったり、それが1万2000年も前に描かれていたということが重大なことだとか。
浅川 カブレラストーンというのは、カブレラ博士という医師が世に出した、人類と地球の歴史を書き変えるかもしれないくらいのすごい石です。
カブレラ博物館は地上絵で有名なナスカの近くにあるイカという小さな町にありました。やっとその町にたどり着いて、5時間くらい調べていたところ、故カブレラ博士の秘書をしていた方が、『熱心ですね。そんなに興味があるなら、カブレラ博士のお嬢さんに会ってみたらいかがですか』と言ってくださいました。さっそくリマでお嬢さんに会って、私の撮った写真をお見せしたり、お話をしているうち、『あなたのおっしゃることは、生前、父が話していたことと同じです』と、とても気に入ってくださって、カブレラストーンの保存会にも入れていただきました。こうした一連の動きには、天の力を感じさせられました。
■1万2000年前に高度な文明が存在した
中川 私たちが習った歴史では、1万2000年前というのは、石器時代で文明などなかったとされていますよね。裸の原人が石器をもって狩りをしているような時代ですね。それに、恐竜はとっくの昔に絶滅している。人間と恐竜が一緒にいるなどということはあり得ないことですよね。
それが、石に描かれた絵として残っている。どう考えればいいんですかね。
浅川 1万2000年前には、高度な文明が存在していて、恐竜も共存していたということです。あの絵は、そのころの文明人たちが、後世の人類に残そうとしたメッセージだと思いますよ。よく、なんで文明人が石なんかに絵を描くんだと言われるけど、ほかにどうやって残すんですか。ICだの何だのって言ったって、それは現代に通用するだけです。何万年も後までメッセージを残そうとしたらああいう形がベストではないですか。
それに、かなりの高度な技術がないとあの絵は描けません。石は安山岩のぼこぼこした硬い石ですが、その表面にミゾの深さや幅が寸分のくるいもなく、彫ってあるのです。こんなことは現代の技術をもってしてもそう簡単に出来ることではありません。
ニセモノだという学者がいるけど、どうやって彫ったんだと聞くと、答えが返ってこないのはそのためです。
金儲けにだれかがやったと言う人もいるけど、日本円にして70円か80円をもら
うのに、あんな手間のかかることをする人はいませんよ。
もっとも、ニセモノもかなり出回っています。3分の2はニセモノでしょうね。でも、1個でも本物があったら、大変なことになると思いませんか。
中川 ということは、間違いなく1万2000年くらい前に人間と恐竜が共存している時代があって、そのときには、心臓移植や天体観測をするような高度な文明があったということになるわけですね。
浅川 そうとしか考えられないんです。
今は真実が世に出る時代ですよ。財界も政界も医学界も、おおいかくしていたベールがはがされようとしています。だから、大きな会社の社長が頭を下げなければならないんです。
やがて、真実が明らかになる新しい時代がくる。私はそう確信していますし、またそうでなければ困ります。
■猛烈な速さでジャングルがなくなっている
中川 話は変わりますが、すばらしい写真集を出されましたね。アマゾン源流の鳥や動物たちですが、貴重な写真だと思います。浅川さんしか撮れないような迫力を感じますね。
浅川 これも撮らされたという気がしてならないんです。私は数年前まで写真を撮ったことがなかったんです。だから6年程前にエジプトに出掛けるときに、娘にすすめられて初めてデジカメを買ったんです。
中川 6年前ですか。昔から趣味でやっておられたのかと思いました。
どんなきっかけだったのですか?
浅川 アマゾンの奥地に学校を作りましてね。その開校式に行ったときに、きれいな鳥やチョウチョを見て、こんなのが写真に残せたらいいなと思ったのがきっかけでした。
アマゾンではジャングルが急速に減っています。しかし焼畑をして農地にすることは、私はそんなに悪いことだとは思ってなかったのです。でも、それは大変な認識不足だったことがわかりました。
ジャングルというのは、岩盤の上に1メートルくらい土があって、そこに30メー
トルから50メートルの木が立っている。木が繁っているから雨が降っても土が流れていかないんですね。焼畑にしてしまうと、5〜6年で土がなくなり畑としても役に立たなくなってしまいます。ですから10年もすると砂漠になってしまうんです。
想像を超えるスピードでジャングルがなくなっているのはそのせいです。
これは世の中に知らせないといけないと思い、この写真集を出したわけです。
中川 写真の一枚一枚が、何かを訴えているように感じます。氣を発していると言いますか、生きている感じがしますね。
浅川 昨年この写真集を沖縄の小学生たちにプレゼントしたんです。2年生の子どもたちでした。そしたら、その子たちが、こんなきれいな鳥や動物たちがいなくなったら大変だ、だからゴミを捨てちゃいけないんだと、いっせいに言い出しました。
今、会長が何かを訴えているようだとおっしゃいましたが、同じようなことを言ってくださった方がいました。
オオミドリ・ヤマセミという中南米南部とペルー北部のアマゾン川流域しか生息してない珍しい鳥を撮ったときのことです。船で川を渡っているときに、めったに写真に撮れないこの鳥が流木に止まっているのを発見しました。これはチャンスとカメラを構えましたが、流木も船も揺れますから、なかなかピントが合わない。近づくと逃げるのはわかっていましたが、近づくしか写真におさめる方法はないわけです。それで、ぐっと接近したのだけれども、この鳥がぜんぜん逃げないし、カメラを向けるといろいろなポーズをとってくれたんです。同行してくれたプロのカメラマンも、これは奇跡だと驚いていました。
私も、撮りながら涙が止まりませんでした。ところがある写真展で、一人の女性がお話がしたいというわけです。変なことを言うかもしれないけど、笑わないで聞いてほしいと前置きして、その方は、このヤマセミが自分に話しかけてくるんだと話し始めたんですね。写真のヤマセミですよ。
『きれいに撮ってくれてありがとう、いろいろなポーズをとったけど、これが一番いいね』と言っていると言うわけです。
撮影したときの状況を思い出すと、間違いなくあのヤマセミが言っているんだと、私も納得しました。とても印象的な出来事でした。
■雨季にはひざまで水につかって勉強する子どもたち
中川 鳥たちも協力してくれているような気がしますね。浅川さんのような方が現れて、鳥たちも喜んでいるんじゃないでしょうか。
さきほど、学校を作られたというお話をされていましたが、それはどういった活動なんですか?
浅川 もともと私はボランティアをするようなタイプの人間ではないんです。でも、通訳とガイドをしてくれたセサルというペルー人が、学校を作るのが夢なんだとある一枚の写真を見せてくれたのがきっかけで、学校建設に力を入れるようになったんです。
その写真というのは、子どもたちがひざまで水につかりながら勉強をしているものでした。私は、『暑いから水につかりながら勉強しているんだね』と、冗談めかして言ったんです。そしたら、めったに怒ったことのないセサルが、ものすごく怒ったんです。水につかりながら勉強するバカがどこにいるか!
ってね。
実はその学校の窓にはガラスが入っていなかったんです。だから雨季のときには雨が吹き込んできて、床に水がたまってくるわけです。雨季は5ヶ月続きます。この間は勉強になりません。ぜひ、しっかりした学校を作りたいとセサルが熱心に言うものだから、一つくらいなら協力しようかということになったんです。
中川 それは、子どもたちも喜んだでしょう。
浅川 親たちも喜んで、1校目ができると、今度は隣の村の親たちが私の村にもとなるわけです。
私はお金持ちではないですから、無理だって断ろうと思っていました。でも、懇願する親たちの目を見ていると、断れないんですね。
ここで良心の葛藤が始まるわけです。そのとき、私にささやきかける声があったんですね。『ヨシトミさんよ、先祖の土地を売ったっていいじゃないか』ってね。
それで私は決心したわけです。そしたら、みんな抱きついてきて。
ホント、あれを断っていたら、一生、悔いが残ったでしょうね。
中川 浅川さんの情熱的な活動には感服しました。まさに、命をかけて、人生をかけて動いていらっしゃるんだと実感しました。
地球は、今、大変な問題に直面していると思います。どう打開していいのか、迷路に入り込んでいるような気もします。
そういう中で、浅川さんのように、勇気をもって行動し、信実を語っておられる人の言葉に耳を傾けることは、とても重要だと思います。とくに、超古代文明については、学者の方々も、これまでの定説がどうであれ、素直に話を聞いて、それを検証していく態度が大切ではないかと思いましたね。
これからのご活躍を期待しています。今日は、本当にありがとうございました。
(山梨県北杜市小淵沢町の浅川さんのご自宅にて 構成◎小原田泰久)
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