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対談内容



中川雅仁の巻頭対談いい人いい話いい氣づき
2008年5月の対談

伝えよう核の恐怖。ビキニ事件を忘れてはいけない。
中川 雅仁 大石 又七さん
(なかがわ・まさと)
1961年北海道生まれ。北海道大学工学部卒。(株)エス・エー・エス会長。全国各地で真氣光(しんきこう)と呼ばれる氣を通して意識改革に精力的に取り組んでいるほか、意識改革を目的にした合宿『真氣光研修講座』を開催し、好評を博している。著書に『こんな癒しがあった!』(文芸社)、新刊『氣で生きる力が湧いてくる』(ごま書房)などがある。
(おおいし・またしち)
1934年静岡県生まれ。53年から第五福竜丸に乗り込む。54年ビキニ環礁でおこなわれたアメリカの水爆実験で被爆。元第五福竜丸乗組員。第五福竜丸平和協会評議員。



■みんな口をつぐんでしまって話す人がいない


中川 はじめまして。先ほど、夢の島にある第五福竜丸展示館へ行ってきました。
 ああ、この船が赤道まで航海し、死の灰をかぶって帰ってきたんだと、木造の福竜丸を感慨深く拝見しました。当事者の方にとっては、私たちの想像を絶するくらいのつらい体験だっただろうと思いますが、福竜丸と大石さんたち乗組員たちは、世の中に核の怖さを知らしめるきっかけになったし、これからも実感をもって伝えていく生き証人なんだと思います。
 大石さんは、あの展示館で、よくお話をされているんですよね。

大石 私も、したくてした体験ではありません。たまたまあの日、あの場所にいて被爆したということです。
 でも、あの事件によって、人生はすっかり変わってしまいました。
 今は、ビキニ事件のことは、みんな口をつぐんでしまって、話す人がいないんです。私も東京へ隠れるために出てきて、実際、隠れていたのですが、なぜか表へ引っ張り出されるような形になってしまいました。
 東京だから来やすいのでしょう、マスコミの人たちが一斉に来るようになりました。本心から言えば迷惑なんです(笑い)。知られたくないことだから。自分にも家族にも負担だし。
 でも、事件そのものに大きな内容があるわけでしょ。年をとってくると大事なことだということがわかってきましてね。言わなきゃいけないなと思うようになってきて、みなさんの前で話をしたり、本を書いたりするようになってきました。

ビキニ事件の表と裏中川 『ビキニ事件の表と裏』という一番新しい本を読ませていただきましたが、巻末に講話をされたところが紹介されていて、そこを見ると、学校でお話されていることが多いようですね。子どもたちの反応はいかがですか。

大石 学校は、かなり回っていますね。核のこととか平和のことに関心のある先生方の間で情報が行き来しているみたいですね。でも、ほとんどの人が忘れていることです。もう50年も前のことですから。
 事件のことを知らない先生ばかりです。まして、子どもたちが知るはずもありません。だから、ビデオなんかで事前学習をしてもらうんです。そうしないとわかってもらえません。
 子どものときに伝えないと。大人は利害関係を知ってしまうから、危ないと思っても、なかなか反対できません。だから、学校へ行って話すんです。
 子どもたちは真剣に聞いてくれます。たくさんの感想文ももらっています。中学2年生の女の子が新聞で私のことを知って学校へ呼んでくれました。その子が大人になって、その学校の先生になり、また講演に呼んでくれるという、うれしいつながりも出ています。

中川 確かに、忘れられているという現実があると思いますね。私も、そんなことがあったなくらいの認識しかありませんでした。でも、大石さんの本を読んだり、展示館でいろいろと見てみると、忘れてはいけないこと、ずっと伝えていかなければならないことがたくさんあることに気づきました。
 多くの人に知っていただきたいと思って、今回、こうやって対談をお願いしたわけですが、ビキニ事件について、簡単に説明していただけますか。

■福竜丸によって放射能の怖さが広がった

大石 1954年(昭和29年)3月1日の夜明け前のことでした。私たちは第五福竜丸という漁船で焼津港を出航し、グアムやサイパンの東側にあるマーシャル諸島でマグロを捕っていました。23人の乗組員がいたのですが、延縄(はえなわ)を海に入れ終えて仮眠をとっていましたら、水平線にすごい閃光が見えたんですね。海底爆発じゃないか、隕石かと大騒ぎになりました。
 しばらくすると、大音響が海底から突き上げてきました。何か大変なことが起こっているという予感に不安が募りました。
 2時間ほどたつと、白いものが空からパラパラと降ってきました。雪でも降ってきたかと思いましたが、ここは赤道近くです。雪が降るはずもありません。目や鼻、口、耳、下着の中に入り、チクチクと刺さるような感じがしてイライラしました。目も真っ赤になりました。唇についた粉をなめてみると、ジャリジャリして固くて、味もない。何だろうと思っていました。何も知らないというのは怖ろしいことだと思いますね。
 その日の夕方から、目まい、頭痛、吐き気、下痢といった体調の異常が起こってきました。二日目ごろから灰が当たったところがプツプツとふくらみ、中に水がたまりはじめました。それは放射線のヤケドでした。一週間くらいたつと髪の毛が抜け始めました。
 焼津へ帰ってから、あの光と大音響は、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験だと知りました。広島に落とされた原爆の1000倍もの威力の爆弾です。白いものはそのときに吹き飛ばされたサンゴの粉だとわかりました。放射能を含んだ粉でした。

中川 アメリカは、秘密裏に実験しようということだったのだけど、たまたま福竜丸が被爆したことで、それが公になってしまったんですよね。
 それから大変な騒ぎが起こりますね。

中川会長と大石又七さん大石 大気圏に上がった死の灰が、雨や雪に混じって日本中に降っていることがわかりました。野菜類も放射能に汚染されているし、マグロも大量に捨てられました。
 福竜丸が被爆しなければ、みんな何も知らずに雨に当たり、野菜やマグロを食べていただろうと思います。アメリカの学者も、福竜丸が戻らなければ、世界中が惰眠をむさぼっていただろうと言っていますから。
 ただ、そんな騒ぎになっても、『今の程度のものでは、かなりの大きさの池に赤インキを何滴か落としたものだ』と新聞に寄稿する学者もいて、日本中が混乱していました。

(後略)

★この対談の続きは『月刊ハイゲンキ2008年5月号』でご覧いただけます。


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