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対談内容



中川雅仁の巻頭対談いい人いい話いい氣づき
2008年7月の対談

倒れるまでまい進する。ゆっくりするのは死んでから
帯津 良一さん 中川 雅仁
(おびつ・りょういち)
1936年埼玉県生まれ。東京大学医学部卒。東京大学第三外科、共立蒲原病院、都立駒込病院を経て、1982年に埼玉県川越市に帯津三敬病院を開院。2004年東京・池袋に帯津三敬塾クリニックをオープン。現在、帯津三敬病院名誉院長、日本ホリスティック医学協会会長、日本ホメオパシー医学会理事長など。『大養生』(太陽企画出版)『あるがままに生き死を見つめる7つの教え』(講談社)『健康問答』(共著・平凡社)など多数の著書がある。
(なかがわ・まさと)
1961年北海道生まれ。北海道大学工学部卒。(株)エス・エー・エス会長。全国各地で真氣光(しんきこう)と呼ばれる氣を通して意識改革に精力的に取り組んでいるほか、意識改革を目的にした合宿『真氣光研修講座』を開催し、好評を博している。著書に『こんな癒しがあった!』(文芸社)、新刊『氣で生きる力が湧いてくる』(ごま書房)などがある。



■先代とは20年前に上海で初めて会った


中川 ご無沙汰しています。ハイゲンキ誌への原稿、いつもありがとうございます。相変わらず、お忙しそうですね。

帯津 こちらこそ、ご無沙汰です。なかなか時間がとれずにすいませんでした。今日も、横浜で講演があって、その帰りに寄らせていただきました。会長と、お会いするのは何年ぶりでしたかね。

中川 もう、ずいぶん、お会いしていませんね。川越の病院へおうかがいして、先生のお部屋でお話をうかがったのを覚えていますが。

帯津 そうだ、そうだ。確か、漢方薬のことでお見えになりましたね。

中川 えーっと、あれはまだ先代が亡くなる前のことだったと思います(笑い)。

帯津 そうでしたか。天河神社でもお会いしましたね。

中川 それも10年以上前ですね。

帯津先生と中川会長帯津 そんな前になりますか(笑い)。いずれにせよ、久しぶりですね。先代が亡くなって13年でしたね。会長も、貫禄が出てきて、ずいぶんと板についてきたじゃないですか。

中川 いや、まだまだ戸惑うことばかりですが、周りの方に助けられて何とかやっております。
 先生には、先代のころからお世話になっていますが、先代とお会いになったのは、いつごろのことですか。

帯津 1988年に、上海で第二回国際気功検討会というのがありまして、私も日本気功協会の山本理事長に誘われて参加したんですね。がん患者を集めて氣功をやっているというのが少しずつ知られるようになった時期で、ぜひ上海でしゃべってほしいと言われましてね。でも、開業医ですから、なかなか病院を空けられません。最初は断っていたんですが、どうしてもと言われるので、しぶしぶ参加しました。
 そしたら、そこにはなかなか個性的な方が集まっていましてね。中川さんでしょ、それに大阪の吉見猪之助さん、名古屋の林茂美さん、京都の山内直美さん、それに湯浅泰雄先生がいましたね。小原田さんとも、そこではじめて会いました。

中川 20年前のことですね。
 先生が病院を開業されたのが1982年でしたよね。それから6年くらいたっていますから、氣功もかなり認知されてきたころでしょうか。

帯津 そうですね。認知されるまではいかなくても、開業したころとは大分、事情が変わってきていました。

中川 先生は、中国で氣功のことを知って、がん治療に氣功を取り入れるられたわけですけど、そのへんの経緯を教えていただけますか。

帯津 中国へ視察に行ったのは1980年です。都立駒込病院にいたころですね。
 外科医として、たくさんのがん患者さんの治療をしていて、医療技術も急速に進歩していましたので、がんが撲滅できる日は近いと思っていました。しかし、現実には再発して戻ってくる患者さんがたくさんいて、ちょっと方向性が違うのではと思うようになりました。それで、西洋医学とは考え方の違う中国医学を学んでみようという気持ちになったんです。
 中国医学というのは、氣功ばかりでなく、漢方薬や鍼灸、食養生といったものがありますね。
 でも、私は、氣功のことを知って、中国医学のエースは氣功だと思いました。

中川 中国医学のエースですか。それはまたどうして、そう思われたのですか。

帯津 私は、若いころ、柔道や空手、柔術をやっていました。柔術が強くなるため呼吸法を習いました。氣功というのは、『調身』『調息』『調心』という三つの要素が必要です。逆に言えば、この三つの要素があれば氣功と言ってもいいわけですね。そう考えると、呼吸法はもちろんですが、柔道も空手も柔術も氣功と相通じるものがあるだろうと思ったんです。姿勢を正して、息を整え、心を落ち着かせるということですね。
 これは、生きるための基本でもあります。それが医療として行われていることにとても魅力を感じました。

■最初は、患者さんも理解してくれなかった

中川 中国では、氣功をどういうふうに医療の中で使っていたのですか。先生が、がん治療に取り入れようと思ったくらいですから、けっこうインパクトがあったのだと思いますが。

帯津 肺がんの専門病院を訪ねたときに、患者さんたちが中庭で体操のようなことをやっていました。『何をしているんですか』と聞くと、氣功をやっていると言うんですね。いろいろと話を聞くと、この病院では手術の前の3週間、毎日、氣功をやらせるのだそうです。と言うのは、ここでは針麻酔で手術をしていて、氣功を事前にやっている人は針麻酔が効きやすいというんですね。
 手術の途中で麻酔が切れると大変ですから、病院でどんな人が効きやすいかデータをとったそうです。そしたら、素直な人が効きやすいということがわかりました。天邪鬼はなかなか針麻酔が効かない。でも、氣功をやらせると、みんな素直になって針麻酔が効くというわけです。
 それで、氣功をやらせていたんですね。
 実際、がんの治療でもこの病院では非常にいい結果を出していましたね。私は、これは使えると思って、本屋さんを回って、氣功の本を買いあさりました。
 1988年の上海では、林厚省さんという有名な氣功師が氣功麻酔のデモンストレーションを見せてくれました。甲状腺の手術なんですが、手術中、患者さんが目を開けて周りと話をしている。氣功は、そのメカニズムはと言われるとわかりにくいけど、非常に可能性があると思いましたね。

中川 わかりにくいけど可能性があるというのは、私も実感しています。
 説明するのが大変です。だから、現象で見せていくしかないというところがありますね。
 先生の場合、駒込病院という大きな病院に勤めておられたわけですから、いくら氣功がいいと言っても、まわりは理解してくれなかったんじゃないですか。

帯津 医師が理解してくれないというのは覚悟していました。でも、実際に、私が手術をした患者さんに氣功をすすめても、患者さんはどうしてそんなことをしなきゃいけないんだという顔をしているわけです。
 患者さんにも理解してもらえなくて、これはだめだなと思いました。でも、必ず、東から風が吹くときがあるという思いもありました。本当は中国だから西からの風なんだけど、東洋医学ということもあって東だと思ったんですね。それで、思い切って病院開業に踏み切りました。それが1982年ですね。

中川 先生の予感通り、東から、本当は西からですね、風が吹いてきていますね。
 それと、先代とはネイティブアメリカンのホピ族の部落へも一緒に行かれていますね。

■ウラン鉱で被曝したナバホ族の人たちを治療

帯津 懐かしいですね。94年の夏ですね。中川さんから一緒に行かないかと誘われて、最初は断ったけど、費用はこっちで持つよと言われて(笑い)。
 ビジネスクラスの席が予約してあったのだけれども、帰りはダブルブッキングがあってファーストクラスで帰ることができました。ホピの贈り物だって、喜んだ覚えがあります。
 飛行機で中川さんと並んで座っていて、彼の良さがよくわかりました。
 どんなものが出てきても、うまいうまいって食べるんですね(笑い)。人間としていいことですよ。感謝の気持ちがあって。

中川 食べることが好きでしたから。確か、ホピの村では、先生も氣功で治療をされたとか。

帯津先生と先代中川会長帯津 ナバホ族というホピよりも大きな部族なんですが、ウラン鉱で被曝した人が入院している病院がありましてね。中川さんがそこで治療をしてあげようと、病院に申し出たわけです。向こうの院長と話したけど、だめだと断られました。それは当然で、わけのわからない日本人が治療してあげようと言っても、どこも断るはずです(笑い)。
 それなら、公民館で希望者だけやろうということになりました。
 公民館を手配してもらって、まわりに知らせたらたくさんの人がやって来ました。半信半疑でやって来るのだけれども、実際に治療を受けるとよくなるので戻ってから言いふらすわけです。そのうち、大勢の人がトラックに乗ってやってきた。これじゃ間に合わないから、帯津先生もやってよと言うからやったんです。
 それでも間に合わない。次々とトラックが着く。そのときの中川さんがまたいいんだよね。これじゃどうしようもない、逃げようというわけです(笑い)。
 裏口から逃げ出した。本当に愉快な人だった。それでも2時間くらいはやりましたよ。あのままいたら、いつまでも終わらなかったでしょうね。

中川 先代は、よく先生の病院へもうかがっていたみたいですが。

帯津 真氣光の会員の方が入院しておられると、よく治療に来られていたみたいです。私とはすれ違いばかりでしたが。
 定期的に中川さんに病院に来ていただいて治療をしてもらおうと検討したこともありました。でも、忙しい方だったので、毎週何曜日と決めるということは、とてもできなかったですよね。それで立ち消えになりました。

中川 先生は、本当に貴重な理解者でした。夢を見て氣が出せるようになったとか、だれでも一週間で氣が出せるとか、それまでの氣功の世界から見たらとんでもない非常識なことを言っていたわけですから(笑い)。
 真氣光ばかりではなくて、氣功というものが広く受け入れられるに当たって、先生が果たした役割は大きかったと思います。NHKで『気功専科』という番組に出られて、あの番組によって、多くの人が氣功にあまり抵抗をもたなくなりました。
 あの番組はどんな経緯で作られたのですか。

帯津 NHKの人がやって来られましてね。氣功の番組を作りたいのでだれか指導者を紹介してほしいという話をしていったんです。
 ところが、しばらくして、ゴーサインが出たのだけれども、これから人を探していると間に合わなくなるので、先生にやってもらいたいと言ってきました。それで急きょやることになったんです。
 放送されたのは1991年くらいだったと思います。あの番組の後、『おかげで氣功が市民権を得られるようになりました』といった手紙を氣功関係者からたくさんもらいました。
 私の後、津村喬さんがやって、第三弾もやろうということになっていたのですが、オウムの事件があって、続かなくなってしまいました。 

■聴診器を通して患者さんに氣が伝わっていく

中川 先生は、本誌の連載の中でも希望ということをよくおっしゃっています。先生とお話していると、とても楽しいし、希望がじわーっとわきあがってくる気がします。元気が出てきます。
 前に、氣の出る聴診器を作られたという話をお聞きしましたが、今は、聴診器を当てる医師も少なくなっているのではないですか。医師と患者の間でコミュニケーションがうまくいっていないと思います。もっとコミュニケーションをとり、患者に希望を処方してくれる医師がいるといいのですが。

帯津 その通りです。がんセンターとか大学病院へ通いながらうちの病院へも来られている人がいるけど、聴診器を当てたりお腹をさわったりしていると、目を丸くして、こんなことされたのは久しぶりだ、いいものですねえととても喜ばれます。
 陶器のメーカーに勤めている友だちに、セラミック製の聴診器を作ってもらいました。セラミックからは氣が出ていると言われていますから。この聴診器を当てるときに、気持ちを込める。すると、聴診器を通して、患者さんの体に氣が入っていくわけです。世の中に3個しかありません。回診のときに、みなさん、氣を入れてくれとせがむので、あの聴診器を当ててあげます。そんなことを年中、やっています。

中川 すごく温かい雰囲気ですね。人と人の心が通じ合ったとき、氣は高まると思います。
 医療には、こうした温かさやさしさが欲しいですね。最近は、パソコンの画面ばかりを見て診察している医師も多いみたいですね。それに、医学的根拠はどうだ、みたいな冷たい議論が多い気がします。氣も、現代科学では解明されないけど、その恩恵を受けている方はたくさんいるし、温かな医療を実現するにはなくてはならないものだと、私は思っているんですけど。

帯津先生帯津 おっしゃる通りです。代替療法の会に出ると、よくエビデンス(医学的根拠)をしっかりして理論武装をしようという話が出るんです。私は、そんなのは必要ないって言うんですね。
 代替療法というのは、多かれ少なかれ、心や生命に働きかけるものです。心や生命が科学で解明されていないのだから、エビデンスを備えることは無理。エビデンスが備えられるところは備える。その努力はしなければならないけど、今の科学では解明できないということを前提にして進めないといけない。深追いすることは無駄です。
 エビデンスよりも、直観をつかえばいい。直観というのは、哲学的直観ですよ。ベルクソンという哲学者の『哲学的直観』という本を読んで、私がそれを多少脚色したんだけど、生命のエネルギーが高まっていくと、体からあふれ出してくる。あふれ出たものが上にあがる。上では母なるスピリットが待っている。そこにドンとぶつかると直観が生まれる。そして、生命の躍動が起こり、大いなる喜びに包まれるという具合です。
 生命のエネルギーが高まっていかないと直観は生まれない。そうやって生まれた直観は科学よりもはるかにすごいものです。

■養生も守りに入ってはだめ。攻めていかないと

中川 先代も直観を大切にしていました。ぱっと直観があると、すぐに動いていました。まわりはハラハラしたりして大変でしたが(笑い)。
 先生がおっしゃっている生命のエネルギーを高めるということは、私どもは魂を輝かせるという言い方で説明しています。
 生命のエネルギーを高めたり、魂を輝かせるためには、逆境も必要だと思いますね。逆境でつぶれてしまったら意味がないけど、その逆境を、魂を輝かせるチャンスだととらえてプラスに転化していくと、人は成長しますね。今は、逆境や困難に対する抵抗力がなくなっています。氣の話を聞いたり、氣を受ける体験を通して、少しでも抵抗力をつけてもらえればと、いつも思っています。
 私も、今は、とても充実した日々を送らせてもらっていますが、これも先代が突然亡くなるという困難があったから、こうした仕事をさせてもらっているんだなと、しみじみと感じさせられます。正直、急なことだったので、最初は右も左もわからなくておろおろしていましたから。あのころの体験のおかげで、困難への抵抗力も多少はついたかなと感謝しています(笑い)。

帯津先生と中川会長帯津 私も悩みはいっぱいあるけど、修行だと思っていますよ。夜は、おいしくお酒も飲めるし、それはそれでいい修行であり養生だと思っています(笑い)。
 体をいたわって、病を未然に防いで天寿をまっとうするというのは昔の養生ですよ。守りの養生で、マージャンでも、守りに入ったら負けるから(笑い)。守りに入ってはだめです。攻めていかないと。
 生命のエネルギーを日々高め続け、死ぬ日を最高にする。そういう養生をしないと。

(後略)

★この対談の続きは『月刊ハイゲンキ2008年7月号』でご覧いただけます。


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