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中川雅仁の関東対談/いい人 いい話 いい氣づき
 
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『月刊ハイゲンキ』2002年2月号 巻頭対談より
 
中川雅仁の関東対談/いい人 いい話 いい氣づき

詩人らしくない詩人 詩人らしくない詩人
『本気をだせばなんでもやれる』 詩人らしくない詩人
須永 博士さん
ゲスト 須永 博士さん

◎すなが ひろし
東京日本橋の生まれ。勤め人生活2年。セツモードセミナーに学ぶ。東京写真専門学校卒業。日本各地で個展を開く一方で、日本のみならずアメリカ、ヨーロッパなどを放浪。詩画集は「ひとりぼっちの愛の詩」「青春まっしぐら」他多数。熊本県阿蘇郡に「須永博士作品館」開館。現在も日本各地を放浪、個展と講演会を開催しながら旅を続けている。
   
中川 雅仁
中川 雅仁

◎なかがわ まさと
1961年札幌生まれ。北海道大学工学部卒。(株)エス・エー・エス会長。全国各地で真氣光(しんきこう)と呼ばれる氣を通して意識改革に精力的に取り組んでいるほか、奈良県生駒市にて意識改革を目的にした合宿
『真氣光研修講座』を開催し、好評を博している。著書に『氣づきの時代』(中央アート出版社)、『こんな癒しがあった!』(文芸社)がある。
 

 

インスピレーション
に従って書いていく


中川 はじめまして。この対談も100回近くやっていますが、詩人の方ははじめてかなと思います。詩人というと、青白い顔で、ちょっと神経質で気難しくて、無口な方というイメージがあって、どういう展開になるんだろうと、少し心配でもあり、楽しみでもありという複雑な思いでお訪ねしました。でも、お見かけしたところ、ちょっと雰囲気が、私の詩人のイメージとは違っているかなって(笑い)。失礼ですが、それが第一印象です。
 はじめてお会いしたにもかかわらず、すごくリラックスできるので、私は非常に気持ちいいんです、今。バックに演歌が流れていて、下町の雰囲気もいいですしね。

須永 いやあ、ありがとうございます。褒められたのかな(笑い)。私はいつもこんな雰囲気で作品を作っています。すいません、イメージを壊しちゃって。
 詩人というと、病いが似合ったりしますね。対談中にゴホゴホとせき込んだりして。詩人は、早く死んだ方が評価が高かったりもします(笑い)。
 私は残念ながら、元気だし、よくしゃべるし、長生きもするでしょう。世の中の詩人の人には悪い気がしますね。

中川 須永さんの作品は、独特の字の感じがすごくいいし、詩の内容も、非常に現実的で、普通に生きている方が、ちょっとつまずいたり、行き詰まったりしたときに、勇気や元気がもらえるものばかりですね。崇高な世界を歌い上げているということではなくて、当たり前の現実をどう受け止めればいいのか、ヒントがたくさん詰まっているように感じます。

須永 私がやっていることは、自分の生き様を瞬間的に人様に見せられるかどうかにかかっています。
 こんな普通の家で演歌を聴きながら書いているわけですし、サインペンもそこらの文房具屋で売っているようなものを使っていますしね。それも、かすれていようが、あんまり関係ない。新品よりもかすれている方がいい作品ができたりもします。
 瞑想するわけでもないし、何か儀式があるわけでもありません。とにかく、わき上がってくるインスピレーションに従って、次から次へと書いていきます。展覧会場では、1日に2〜300枚書いていますから、何を書けばいいのか意識している時間なんかないですよね。
 瞬時に無意識のうちに相手の思いを読んで、それを詩にするというのが、私のスタイルですね。

中川 芸術というのは、多かれ少なかれ、直感的なものがないといい作品ができないと言いますが、須永さんの場合は、そのスピードが違いますね。苦しんで苦しんで、その行き着いた先に、ぱっと直感があって、作品が出来るという形ではないですよね。

須永 それは、旅をしてきて、いろいろな人と出会って、それが自分の中で栄養になっているからだと思います。
 人と会うことが、自分自身の充電にもなっています。
 たとえば、この間は、300グラムで生まれたという50歳の女性にお会いしました。500グラムまではお会いしたことがあるのですが、300グラムというのは新記録でしたね。お母さんが90歳で、生まれたときの印象がすごく大きかったんでしょうね、今でも娘のことを、いろいろと思いながらも、元気で過ごしているといった話があったりするわけですね。300グラムで生まれるということも、そんな子どもを持った母親という体験も、私にはできないこと対談風景ですよ。でも、話をお聞きすることで、感性が触発されて、作品につながっています。
 東京にいるのが年間で1〜2ヶ月、熊本のアトリエに1〜2ヶ月、あとは旅に出ています。その旅の中で、皆さんが喜んでくれたり、元気になれる話を仕入れてくるわけです。
 たくさん手紙をいただいたりするのも、私にとってはエネルギーになりますね。お母さんをガンで亡くしたという女性ですが、看病をしているときに、私の本が支えになったと手紙をくださいました。お母さんが亡くなって、どっと疲れが押し寄せてきたといったようなことが書かれていたので、彼女にふさわしい詩を書いて送ってあげました。
 ちょっと気を抜くと自らの命を断ってしまう人がたくさんいます。1999年には1日に38人だった自殺者が、2000年には80〜90人になっているわけでしょ。不安を抱えながら生きている人がたくさんいるんですね。そうした人に、少しでも元気になってもらいたいし、自殺を思いとどまっていただきたい。少しでも、私の詩がその助けになれればなと思っています。

対人恐怖症で悩んだ
21歳のころが原点


中川 そうですよね。本当に不安が渦巻いています。こんなときこそ、人と人とのかかわりがものすごく大切になってくると思います。人を思いやれる心が必要になってくるのではないでしょうか。

須永 人に対する洞察力をどれだけ磨くかが大切になってくるでしょうね。
 私も、旅に出て、人を観察していた時期がありました。名古屋や神戸や函館、紋別の駅の待合い室で、通る人や座って休んでいる人を見ながら、あの人はどんなことを考えているんだろうと、5〜6時間ながめていたこともありました。
 そもそも、私が旅に出て、人を観察して、詩を書くようになったのは、対人恐怖症でものすごく苦しんだことがきっかけでした。あの体験があったから、今があるんだと思っています。もう二度と、あんな体験はしたくないと思いますからね。

中川 今は、こんなに明るく、楽しいお話が次々と出てくるのですから、対人恐怖症だったと言っても、だれも信じないんじゃないですか。でも、人の心を打つ作品を作る人は、自分も辛い体験をしている場合が多いですよね。そうじゃなきゃ、なかなか人の心の痛みが和らぐようなものは作れないですよ。
 で、対人恐怖症というでしたが、どんな状態だったのですか。

須永 21歳のときでしたね。この家に母と2人で暮らしてました。父と母は小さな写真家をやっていましたが、父が亡くなって、母が私を育ててくれました。私は一人っ子だったし、ずいぶん甘やかされたかもしれません。過保護な母だったですね。それも原因だったかもしれません。タイヤのセールスの仕事を18歳からやっていたのですが、人生経験が不足していますから、常にストレートを投げてばかりで、仕事もうまくいくはずがありません。会社でも、『お前はだめだ』と、いつも言われ続けて、だんだんと人の目が恐くなってきました。そのうちに、乗り物に乗っていても、みんなが自分のことを笑っているんじゃないだろうかと思えるようになってしまったんです。もう会社も辞めるしかありません。
 それから、夜と昼が逆転して、昼間は寝ていて、夜にになると目がさえて一晩中起きているという生活が続きました。
 今考えると、家に閉じこもっていたこの時期が、今の自分の基礎を作っているような気がしますね。人生、何が幸いするかわかりません。

中川 本当にそうですね。そのときはどんでもない不幸の中にいると絶望していても、あとになってそれが生きてくるということはよくありますね。
 そういう意味で、目の前のことだけに振り回されると、人生そのものが見えなくなってしまいます。
 良くないことだと思えても、それを体験することが、その後の人生においては、すごく大切だったりしますね。後になってわかるんですけどね。

須永 対人恐怖症から脱出したかったですから、どうすればいいのか、いろいろと考えました。その結果、結局は自分でやりたいことをやるしかないなという結論に達して、好きな本を読み、絵を描くということで、時間を過ごしました。石川啄木や高村光太郎、武者小路実篤といった方々の詩を読みまして、自分の孤独感に共通するものを彼らの作品の中に見出して、感情がぐっとこみ上げてくるのを感じたり、自分が内面から変化していくような気がしましたね。
 詩人らしい過去をもっているでしょ(笑い)。ずっと、今みたいに気ままに生きていたわけじゃありません。苦労もしました。ただ、その苦労が、こういう詩人らしくないキャラクターとして結実してしまった。それは、私の責任じゃないですよね(笑い)。

著作を見ながら対談する

絵を褒められたことが
自信につながった


中川 すごく興味深いですよ。何か成し遂げている方は、いろいろなハードルを乗り越えています。どう乗り越えたかが、すごく参考になるんですね。ハードルの前ですくんでしまっている人が多いですから、その体験は、すごく参考になるし、勇気にもなります。
 たぶん、須永さんは対人恐怖症で悩みに悩んだから、今みたいな人を安心させるような雰囲気が身についたんじゃないんでしょうか。
 楽しいお話ですよ。その後、どうなったかお聞かせください。

須永 こんなに喜んでくださって、話しがいがあります。でも、この対談、打ち合わせもなくはじめて、私がペラペラとしゃべってばかりいますが、これでいいですか。

中川 いや、皆さん、そうおっしゃるのですが大丈夫です。ざっくばらんにいろいろなお話をして対談風景いると、思わぬことが発見できたります。そこがいいんですね。この対談は、いつも打ち合わせなしです。出たとこ勝負です。打ち合わせが大切な場面もありますが、それこそ、須永さんのサイン会と同じで、今、私にも読者にも必要なことが、話しているうちに出てくると思いますよ。

須永 賛成ですね。取材の前に綿密な打ち合わせがあったりしますが、私も打ち合わせっていうのはあまり好きじゃない。今日はしゃべり心地がすごくいいんですね。
 じゃあ、このまま続けさせていただきます。
 詩をたくさん読んだというところからでしたよね。
 詩を読むうちに、詩人になりたいという気持ちが高まってきました。詩人になろうと思いました。でも、そのためには人生経験が不足している。何かやらなければということで、1年半くらい葛藤はありましたが、旅に出ることにしました。それから、人生がどんどんと大きく展開していきました。

中川 1年半ですか。いろいろ悩んだでしょうね。

須永 でも、恐れていても仕方がないというのが結論でした。絵の学校へ通いはじめて、そのときに先生から『君の絵は世の中の人に喜ばれるよ』と言われましてね。これまで褒められたことがなかったですから、ものすごく嬉しかったし、自信にもなりました。その先生の家にも遊びに行ったくらいですから、よほど嬉しかったのだと思いますよ。
 写真の学校へも行きました。
 とにかく、基礎を作ろうということで、一生懸命に詩や絵に関することを学んだ時期でしたね。
 一番、力を与えてくれたのは女房だったですかね。愛することも愛されることもあまり実感としてなかったですから、彼女と会って結婚して、子どもが生まれてというのは、すごく大きな意味があったと思います。
 女房は、友だちの妹でした。私がその友だちを訪ねたときに、私の書いた絵はがきの絵がぬいぐるみになって飾られていました。だれが作ったのって聞くと、妹だって言うわけです。ちょっと会わせてよということで、はじめて会ったんですが、その瞬間に「お嫁さんにしよう」とピンときました。私が25歳、女房が23歳で結婚して、翌年には子どもが生まれて、忘れもしませんが、その年の年末に、『お金はいくら残っているんだ』って聞いたとき、『180円』という答えが返ってきました。そのお金で餅を買って、新年をお祝いしました。

詩によってマイナス
の氣がプラスに転化


中川 そうですか。180円ですか。そのころ、将来に対する不安なんかありませんでしたか。小さな子どもさんを抱えて、収入はどうなるんだろうとか、仕事は大丈夫だろうかとか、そんなこと思ってしまいそうですが。

須永 もう、自分の道はこれしかないと決めていましたから。自分の作ったものがどれくらい受けれてもらえるのか、それしかないという気持ちで仕事と取り組んでいましたので、迷いも不安もあまり感じませんでした。
 言葉のエネルギーをすごく実感している時期でもありましたね。人生ギブアップだと言っている人に、今がスタートだよと言ってあげるだけで元気になります。そんな仕事に、誇りもあったし、夢もありました。

中川 人って、覚悟ができると、不安もなくなるということがありますね。ゆらゆら心が揺れているときは不安も心配も大きくなります。自分にはこれしかないと思えることが、もっとも強い武器だし、そう思えると実際にそうなってしまうんですね。
 何をやったらいいのか、何が必要なのかわからない人が非常にたくさんいます。それがわからないから不安になってしまう。自分がやるべきことが何かを見つけるためには、とにかく何かをはじめなければならないんだけど、一歩が踏み出せずに、不安の渦に巻き込まれてしまったりする。須永さんのように、恐れても仕方ないという気持ちで行動するしかないと思います。

須永 リストラの担当者になって、いつもいつも心を痛めているサラリーマンの人にこんな詩を送ったことがあります。『のたうち回らないと先は見えてきません』それを彼の目の前で書いたのですが、すごく元気になってくれましたね。
 こんな詩も書いたことがあります。
 『逃げたら逃げただけの人生がくる
  甘えたら甘えただけの人生がくる
  自分の力で正面からぶちあたれ
  それを乗り越えていけ』
 嫌なことがくるとついつい逃げようとするけど、大胆に乗り越えていくしか道はないんですね。

中川 須永さんの詩で元気になる人は、その人の持っている氣がマイナスからプラスに転化されているんだと思いますね。須永さんにお会いしてプラスの氣になり、その人の氣が須永さんにも影響を与えて、須永さんも氣がより高まる。そして、高まった氣によってよりいい作品ができて、それが多くの人に元気と勇気を与えるといういい循環がでているんでしょうね。

須永 自分の人生だけでなく、相手の人生をも書けるようになってきたのも、いろいろ人の氣をいただいたからだと思いますよ。全国の悩んでいる方々に詩を通して、その氣を発信していくのが、私の仕事ですかね。
 鹿児島の高校の野球部で、16年間、一度も勝っていないところがあって、ちょっとした縁があって、そこに元気になるための詩を送ったんです。3年くらい付き合っているんですが、ついに19年ぶりの勝利をあげました。おめでとうと言ってきましたよ。少しでも人に喜んでもらえるように、もっともっといい作品を作っていきたいですね。
 今日は、中川会長とお話できて、とても楽しかったですよ。うちの娘が、近くでお店をやっていて、おいしいもんじゃが食べられますから、お時間がありましたら、これからいかがですか。場所を変えるとまた違った盛り上がりもあるかもしれません。良かったらお付き合いください。

中川 こちらこそ、とても楽しくお話をうかがえました。それじゃあ、場を変えて、元気になるお話をおうかがいするとしましょう。今日は、ありがとうございました。

◎構成・小原田泰久

2001年10月31日 須永博士さんご自宅と娘さん経営の居酒屋「笑力」にて

握手を交わす二人


詩人らしくない詩人
全国を旅して言葉で人の心を癒す


中川雅仁の関東対談/いい人 いい話 いい氣づき

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