今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2017年2月:「望月 龍平」さん

望月 龍平

望月 龍平(もちづきりゅうへい)さん

脚本・演出家。18 歳で劇団四季に入団。「CATS 」「ライオンキング」「マンマ・ミーア」「美女と野獣」「ウエストサイド物語」「エクウス」などに出演。2008年に退団後、俳優のみならず、演出家、脚本家、プロデューサーとして活躍。「t wel ve 」「鏡の法則」「文七元結」「君よ 生きて」といった話題作を世に出す。現在、株式会社蒼龍舎代表取締役、NPO法人OFF OFF BROADWAY JAPAN代表などを務める。

『演劇を通して、シベリアでつらい思いをした人に光を送る』

メインキャストとして2500もの舞台に立った劇団四季をやめて独立

中 川:
急な対談のお願いにもかかわらず、お引き受けいただきましてありがとうございました。
シベリア抑留の芝居を上演されるとお聞きして、ぜひ、お話をうかがいたいと思い、お願いしました。と言うのも、私の母は、終戦のとき樺太にいて、命からがら内地へ逃げてきましたが、そのとき、母の父がソ連の捕虜になって、シベリアへ送られたということがあったからです。祖父は、ロシア語ができたこともあって、比較的早く釈放されたようです。私が生まれたときには、もう亡くなっていましたので、詳しいことは何もわかりませんが、とても気になっていました。
望月さんとお会いできるというのも、何かのご縁だろうと思います。
望 月:
こちらこそ、声をかけてくださってありがとうございます。
ぼくも、ひょんなことからシベリア抑留のことを芝居にすることになって、いろいろと調べましたが、ものすごく感じることが多くて、人生観が大きく変わりました。
中 川:
シベリア抑留のお芝居の話は、後からお聞きするとして、まずは、望月さんご自身のことを教えてください。劇団四季で俳優をやっておられたとか。それも、メインキャストとして活躍されていたとお聞きしています。
望 月:

劇団四季には、高校卒業と同時に入団し、12年間所属していました。2500回以上の舞台に出演させていただきました。
キャリアを積めば積むほど自分の未熟さを知り、いつももっと成長したいという気持ちで演劇に取り組んできました。とても充実した毎日でした。
キャリアを積むにつれ、俳優としてだけではなく、みんなをまとめるという役割を担うようになってきて、自分の中に、演出家としてやっていきたいという思いが芽生えてきました。
初めは、劇団四季の中で演出家になって、恩返しをしたいと思っていましたが、劇団も大変動の時期でしたし、自分自身も、劇団の中にずっといては成長できないと感じるようになってきました。それで、演出家として、外で技術を磨き、いずれ劇団にもお返しをしたいという気持ちが膨らんできて、退団をすることに決めました。それが2008年ですね。
中 川:
でも、劇団四季というと、なかなか入れる劇団ではありませんよね。メインキャストという地位も得ているわけですから、所属していれば安泰ということもあったにもかかわらず、それでも退団するというのは、かなりの覚悟があってのことだと思います。退団後はどうされたのですか?
望 月:
1年間、ロンドンに勉強に行きました。ロンドンは、シェークスピアに代表されるように古くから演劇が盛んな場所ですから、学ぶことがたくさんあると思ったからです。
実際、すごく勉強になった1年でした。常に古きものと新しいものの葛藤があって、シェークスピアも、繰り返し繰り返し上演されていたのですが、演出の仕方、表現の仕方が、その都度、違っていました。現代的なアレンジがあったりして、どこかに挑戦が見られました。とても刺激的でした。
それに、海外へ行くと、日本の良さが見えてきます。日本人の精神性とか、外から見ると、すごいものをもっているのに、自分もそれに気づいてなかったし、多くの日本人が気づかずにいます。
実は、ぼくが小さいころ、母が気功をやっていましてね。お腹が痛いときには、よくお腹に手を当ててくれましたよ。だから、中川会長にお会いしてお話をうかがうのをとても楽しみにしていました。
中 川:
そうですか。じゃあ、氣のこともよくわかっていらっしゃるんですね。ロンドンと言えば、私も帯津先生に案内していただいて、スピリチュアルヒーリングの研修に参加したことがあります。スピリチュアルという面では、イギリスというのは、とても伝統のある国ですよね。
私は、演劇も氣の世界だと思っています。観客の方々と俳優さんとの間に、目に見えないエネルギーの交換がありますよね。それに、ある役を演じるというのも、多分に氣と関係があるかなと思っています。
望月さんは、そんなことを感じたことはないですか。
望 月:

ぼくは、自分が舞台に立つときは、一番後ろの席までグルンと空気を循環させるイメージをもちます。繊細なシーンのときは、真空の状態で、スッとエネルギーを届ける感じかな。ぼくのイメージの世界だけですが。劇団四季をやめてから、40人50人の場所でも何度かやりました。その空気の動かし方と、劇団四季のころの1000人の小屋での動かし方は違うということを感じました。40人とか50人の場所では、目の前にお客さんがいるので、最初は緊張しましたね。

<後略>

(2016年12月19日 東京日比谷松本楼にて 構成/小原田泰久)

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